歴史と伝統のまち石川県金沢市。観光名所のひがし茶屋街から浅野川沿いを徒歩で少し上った場所に建つ古い町家。ここを拠点に、鯖のこんか漬け『金沢こんかこんか』を製造販売しているお二人にお話しを伺いました。
※こんか:金沢の方言で“ぬか”の意味。こんか漬けは、新鮮な魚介が手に入る北陸地方で冷蔵・冷凍技術がない時代に魚の保存方法として発達しました。

こんか漬けの美味しさを、みんなにも届けたい。

金沢こんかこんかは、齋藤園さんの母 池田由美子さんが作り上げた、伝統の味。

由美子さんが以前大怪我をして入院していた時、知り合いのおばあちゃんが差し入れてくれたこんか漬けを一口食べてみると、そのまろやかな美味しさに感動したそうです。

「退院後、母はこんか漬けを差し入れてくれたおばあちゃんから、ぬか床を分けてもらって作り方を習いました。自分で作ったこんか漬けを近所の人に配ってみると、とても美味しいと評判になったのです。」と穏やかな口調で振り返る齋藤さん。

おばあちゃんから教わった美味しいこんか漬けを、みんなに食べてもらいたい!という想いから、『池田商店』を開業。親子でこんか漬けの製造をスタートさせました。

いざ商品として製造を進めていくと、たくさんの困難にぶつかる日々が続いたという齋藤さん。「同じぬか床を使っていても、季節などの環境の変化によって全く違う味のこんか漬けが出来上がります。“いつも同じ味を作る”ということが、実は難しいことなのです。」

現在の金沢こんかこんかのまろやかな味に至るまでには、長い歳月がかかったそうです。

存続の危機、到来。

製造の試行錯誤を乗り越え、販売も軌道に乗り始めた頃。由美子さんは高齢になり、製造に関わることが難しくなってしまいました。こんか漬けの製造過程には、重い樽をひっくり返す作業など、体力を使うことが多いそうです。平成29年、由美子さんの引退と共に金沢こんかこんかの製造を泣く泣く中止することになりました。

試行錯誤を乗り越えて作り上げた金沢こんかこんかを絶やしたくなかった齋藤さんは、事業承継先を探し始めました。そんな中、ご縁があって事業承継に名乗りを上げたのは、デザイン会社に勤める中神遼さんでした。

「初めて金沢こんかこんかを食べたとき、その美味しさに驚きました。こんか漬けって、何の魚かわからない程にガツンとくる塩気と特有の臭みがある食べ物のイメージがあるのですが、金沢こんかこんかは違いました。こんなに美味しいものがなくなってしまうのはもったいないと思いました。」そして中神さんは、デザインの持つ力を使って金沢こんかこんかの美味しさをたくさんの人の元へ届けたいと考えました。

若きデザイナーと共に、再スタート。

平成30年に中神さんが事業承継して再スタートを切った金沢こんかこんか。

ブランディングを再考し、商品のパッケージをリデザインするにあたって、難しいことが多かったそうです。

「パッケージをひとつ変えるにしても、コストがかかったり作業工数が増えたり、冷蔵の際のスペースを考えるとサイズに制約が出てきたり。商品を販売することの大変さを初めて思い知りました。」そう話す中神さんに、齋藤さんは「金沢こんかこんかのパッケージデザインは、大きな魅力のひとつですよ!」と笑顔で一言。照れたように笑い返す中神さん。

こんなお二人のやり取りに、頬が緩みました。

また、中神さんは地域の人と一緒に楽しめるワークショップなどを企画することもあるのだとか。金沢こんかこんかを使った5メートルの長さの海苔巻きを作るイベントを開催するなど、柔軟な発想で金沢こんかこんかの魅力発信に奮闘しているそうです。

金沢こんかこんかのホームページやInstagramを覗いてみると、おしゃれな食べ方なども提案してくれています。

「若い世代のみなさんにも、こんか漬けを食べてもらいたいです。食べるまでのハードルを少しでも下げていけるように挑戦していきます。金沢こんかこんかを県外の方々にも楽しんでもらって、みんなに愛される商品にしていきたいです。そして地元金沢の人が、こんか漬けを誇りに思ってくれたら嬉しいですね。」と話す中神さんは、すっかり“こんか漬けの虜”でした。

みなさんもぜひ、他にはない芳醇でまろやかな金沢こんかこんかの旨みと甘みをご賞味ください。