富山市千石町通りに建つ、昭和8年創業のくすしそば本舗まるぜん。親子三代にわたって受け継がれ、地元に長く愛されているお店です。
「お客さんには、家のように気軽に足を運んでもらいたいですね。」と穏やかな笑顔で話してくれるのは、三代目店主の窪田憲修さんです。
先代の努力を途絶えさせない。
まるぜんは、窪田さんの祖父が『まるぜん食堂』として初代店主を務め、地域のみなさんに愛されてきました。
窪田さんは、窪田家の4人兄弟の長男。「家業は長男が継ぐものだと言われていた時代でしたが、家業を継ぐ気は全くなくて、高校を卒業後はとにかく家から出たかったのです。調理師学校だったら、父親も快く受け入れてくれるだろうと考えて、大阪の調理師学校に進学しました。」
調理師学校を卒業後も、実家には戻らずに洋食屋や居酒屋などで勤めながら調理の道を歩み続けていました。
窪田さんがお店を継ぐ決断をしたきっかけは、母親の突然の死だったそうです。
「親父とお袋でずっとお店を続けていくものだと思っていたのですが、お袋が急に亡くなってしまって。親父が、お店をやめようかと言い始めたのです。当時、これまで50年もの間続けてきたお店を閉じてしまうのはもったいないと思いました。それに、片腕を無くしたかのように脆くなってしまった父親の姿を見ていられなかったですね。私が力になりたいと決心しました。」こうして窪田さんは、平成4年からまるぜんで働き始めました。
そんな窪田さんは新しいことにチャレンジすることが大好き。
「家を離れていた11年間で、いろんな引き出しを身につけてきました。『冷やし中華』があるなら『冷やしインド』があってもいいだろう!ということで、中華麺にカレーをかけるメニューをつくったこともありますよ!」と、ユーモアあふれるメニュー開発も行っているそうです!
『くすしそば』ができるまで。
チャレンジ精神が旺盛だった二代目店主の窪田さんの父が、まるぜんの名物『くすしそば』を開発したそうです。
『くすしそば』は厳選された国内産そば粉と、体に良い生薬を配合した薬の都 越中富山ならではのそばです。生薬によくあるイメージの薬臭さや苦味が無く、おいしく食べられます。
※くすし:昔、医師や薬剤師、売薬業に携わる人を総じて「薬師・くすし」と呼びました。これは「やくし」とも読み、病気を治し災害を除く医薬の仏、薬師如来(やくしにょらい)の総称でもあります。
窪田さんの父は、医科薬科大学(現富山大学)の和漢研究所の先生とのご縁で、当時 先生が作り始めたばかりの薬膳カレーをヒントに、「そばに生薬を入れてみてはどうか」とコラボレーションを提案しました。そこから『くすしそば』開発のチャレンジが始まりました。完成までに、かなり試行錯誤を繰り返したそうです。
茹でたら変色してしまったり、麵がちぎれてしまったり。今の製品にたどり着くまで、4年の歳月がかかったのだとか。
「当時、まだ薬膳料理もメジャーではなくて、蕎麦は蕎麦のままで食べたほうが良いじゃないか。と周囲に言われながらも、親父がチャレンジを続けて出来上がった商品です。苦労して道を敷いてもらったので、『くすしそば』は大切にしていきたい商品です。」と話す窪田さん。現在、贈り物にも人気の名物商品となっています。
こだわりは味だけじゃない!
『くすしそば』の商品のこだわりは、味だけでなく色鮮やかな赤い薬箱をイメージしたパッケージにも施されています。
「配置薬といえば薬箱!『くすしそば』を召し上がった後にも、ご家庭で使っていただければ嬉しいなと、富山ならではのデザインにこだわりました。全国の方々に富山ならではの商品を楽しんでもらいたいです。」
また、窪田さんが日頃から大切にしていることは、“毎日ブレずに同じものを作ること”。
「初代から続く、まるぜんのこだわりの自家製麺と、だし。季節によって水分などの配分も少しずつ調整しています。季節が変わっても、味は変わらずに同じものをつくる。少しぐらい、いいだろう。という妥協ではなく、少しでもよくしよう!と日々の工夫を積み重ねています。」
三代続くまるぜんには、創業当初から足を運び続けているお客さんや、小さい頃から食べに来ていて大人になってお子さんを連れて食べに来てくれるお客さんもいらっしゃるとのこと。
「気さくに、また来たいとみなさんに思っていただけるお店でありたいです。」とお店でお客様を明るく迎えてくれる奥様のみわこさんも、嬉しそうに話してくれました。
まるぜんは、富山の薬膳の魅力を食の力で全国に発信しながらも、これからも地域に根付き、皆さんに愛されていくのでしょう。
みなさんもぜひ、チャレンジを繰り返してきたまるぜんの『くすしそば』をご賞味ください。